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マスターの上西四郎さん。店内の壁には米兵でにぎわった時代の写真が飾られている=横浜市中区、太田泉生撮影 |
ベトナム戦争中に横浜・本牧の米軍住宅近くに開店し、専属バンドから人気グループサウンズ(GS)も生んだレストランバー「ゴールデンカップ」が来月7日、50周年を迎える。米兵は去り、街の雰囲気も変わったが、マスターの上西四郎さん(82)が今も店に立つ。
横浜・元町の繁華街からバスで10分ほど。週末の夜、ひときわ目立つ看板の奥から、ロックバンドの生演奏の音が聞こえてきた。
「バンドやってる人間にとっては、伝説の場所なんだ」と50代のメンバー。週末には、アマチュアからプロまで様々なバンドがライブを開く。上西さんは「店の名前だけで来てくれるのは、お金には換えられない財産だね」と笑う。
上西さんは京都出身。1960年代に横浜に移った。当時、本牧には広大な米軍住宅があった。「米兵相手なら、いい商売になるのでは」。東京五輪直後の64年12月、ここに米兵向けのレストランバーを開いた。店名は米国西海岸の「ゴールデンゲートブリッジ」にちなんだ。
米国から最新のレコードを直輸入して流した。店内は米兵であふれ、米国文化に憧れる日本人もやってくるようになった。